クディルコス・ナウミエスティス (Kudirkos Naumiestis)
1561年、「ドゥオリエバイチャイ」 (Duoliebaičiai) として文献に登場する. ハプスブルク家のツェツィーリアがポーランド王ヴワディスワフ4世と結婚したことから、1639年には都市名が「ヴラディスラヴォヴァス」(Vladislavovas、Władysławów)に名称変更された. 1643年、ヴワディスワフ4世がこの街に都市としての権利を授与. しかし都市として浸透することはなく、その後も「町」や「新町」として知られるようになった. なおドイツ語の市名 Neustadt-Schirwindt(ノイシュタット=シルヴィント) はシルヴィンタ川(Širvinta、Schirwindt)に由来する.
1900年、街は「新町」を意味するナウミエスティス(Naumiestis)と呼ばれるようになる. タウラゲ郡にも同名の町があったこともあり、1895年から1899年までこの街に住んでいたヴィンツァス・クディルカに因んで、1934年、「クディルコス・ナウミエスティス」(クディルカの新町、の意)に改称された. なお、タウラゲ郡のナウミエスティスは、同時期にと呼ばれるようになり、両者が区別されるようになった.
地図 - クディルコス・ナウミエスティス (Kudirkos Naumiestis)
地図
国 - リトアニア・ソビエト社会主義共和国 (1918年-1919年)
リトアニアの国旗 |
外向きにはリトアニア人自らによる社会主義革命の産物であるかのような体裁がとられていたが、その実態はを正当化するためのソビエト・ロシアの傀儡政権に過ぎなかった. 一方でソ連の公的プロパガンダに拠って立つ歴史家によれば「ソビエト・ロシア政府がこの若きリトアニア・ソビエト共和国を承認したという事実は、米英の帝国主義者が宣伝する、ソビエト・ロシアがバルト諸国に対する強欲を抱いているというデマを打ち砕くものである」とされている.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
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EUR | ユーロ (Euro) | € | 2 |